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インタビュー・コラム

ニューヨークのアート系映画のウェブサイト "SCREEN SLATE" ジョン・デリンジャー氏インタビュー 前篇

ニューヨーク中のシネフィルが挙って愛読しているウェブサイト『スクリーン・スレート』を、ぜひ、一度見てほしい。2011年に、ニューヨークに引っ越して来たばかりのジョン・デリンジャーのブログとして始まったサイトは、今ではニューヨーク・タイムズ紙などでも絶賛され、ニューヨークの様々な劇場が賛同し、連携している映画上映情報サイトだ。独立系、旧作、名画、実験映画、アーティスト視点の映像作品・映画作品に絞り、ニューヨーク中の上映会を細かく掲載している。様々な上映会場の説明もあり、上映作品のスチール写真を活用した、見やすく、使いやすいサイトとなっている。その日何が、どこで、何時に上映されているかが一目でわかり、クリックすれば上映会場のサイトにたどり着ける。
ニュースレターはデイリー版とウィークリー版があり、メールボックスに直接届き、その日、あるいはその週にニューヨークで上映される映像作品を一覧として見ることができる。加えて、毎日特集記事があり、熱心な若手ライターたちが、その日のイチ押し上映作品に、コメンタリーを付けている。また、2015年にキックスターターのクラウドファンドに成功して、リニューアルされたサイトでは、過去の記事がアーカイブされているため、簡単なサーチ機能で、過去にいつ、どこで作品が上映されたか、また、どんな記事がサイト内で書かれたか等を知ることができる。スクリーン・スレートには、近年のニューヨークの上映の歴史が詰まっているのだ。
デジタル上映への移行やストリーミング・サービスの発展で一時期、低迷しかけていると思われていたニューヨークの独立系映画館業界は、ここ数年、毎年のように新しい劇場が増えている。スクリーン・スレートの成長は、近年のニューヨークの劇場の成長と密接な関係にあるのではないだろうか。驚くべきことに、このサイトは現在でもほぼボランティアで運営され、サーバー等の出費は読者からの支援でまかなわれている。スクリーン・スレートが10周年を目前にひかえる今 、創立者のジョン・デリンジャーと、サイトの生い立ち、現状、そしてニューヨークの映画状況について話しあった。
SCREEN SLATEページTOP
VENUES(上映会場)のページ ※一部抜粋

SCREEN SLATEスクリーン・スレート

https://www.screenslate.com/

Screen Slateは、観客と映画の体験を結び付けるサイト。

  • ニューヨーク市で行われるインディペンデント映画、アート系映画、実験映画、特集上映等の上映を、毎日リストアップして掲載。
  • 多様な執筆陣による特集上映の紹介や作品評、エッセイや文化時評、インタビューも掲載。時には本やZINE(ジン)も出版。
  • ウェブサイトのほか、デイリー、ウィークリーのメールマガジンを配信。
  • メールマガジン購読者及びウェブサイト訪問者に確実に情報を届けるためのオンラインプラットフォームを構築。
  • 見落とされがちな作品や注目されない作品にスポットライトを当て、アーティストを支援し、コミュニティを構築するイベントを企画。
  • 利用者は、ニューヨーク市とその周辺のアート系映画館、アートスペース、美術館、マイクロシネマ、文化センター、ギャラリーなどで行われる多様なプログラムをキャッチすることができる。
  • スクリーン・スレートの上映リストと解説は、ニューヨーク市とその周辺地域の文化的、芸術的に重要な上映活動のアーカイブとしても機能する。

2011年2月の活動開始以来、映画やアートの世界の観客、アーティスト、映画製作者、プログラマー、キュレーター、会場をつなぐための主要なリソースとしての地位を確立している。

(ウェブサイトより抜粋)

増渕愛子(AM) いつもいろんな人に、スクリーン・スレートはニューヨークの映画館業界にとってとても重要で、今ニューヨークの映画シーンが栄えているのもこのお陰だ、と言ってるんだよ。

ジョン・デリンジャー(JD) どっちがどっちを支えているのかわからないよね。その答えを見つける時間も資源もデータもないからね。でも『素晴らしき哉、人生!』(1946) に出てくるクリスマスの天使がやって来て、スクリーン・スレートが生まれなかった世界を見せてくれたら面白いよね。

「スクリーン・スレート」誕生!

AM ところで、スクリーン・スレートはどうやって始まったの?

JD 僕は、10年くらい前にニューヨークに引っ越したんだけど、それまで住んでいたロスやシカゴでは旧作映画上映についての情報資料があったんだよね。(注1) 全ての上映を取り上げていたわけはなかったんだけど、どれも旧作・名画や実験映像上映を見つけるには役立つガイドだった。だから、ニューヨークに来て、似たようなものがないと知ったときにはとても驚いたんだ。まだ見つけていないだけなのだろうと思い、とにかく探そうと思ってネット検索もちょこちょこしてたんだけど、結局何もなかった。
当時、僕はほとんど誰も知らなかった。そもそもニューヨークには、主流の大規模な映画の現場で仕事をするために引っ越して来たから、旧作やアンダーグラウンドの映画を見るような人たちと接していなかった。だから、プログラミング(劇場の上映編成)をしている人たちや、ローカルの映画製作コミュニティや実験映画コミュニティとも繋がってなかった。で、ある日、フリーランスの身だから、仕事がなくてちょっと時間ができたときに、情報サイトがないのなら、自分で勉強して作ろうと思った。でも、ウェブ・デザインやコーディングについては全く無知だったから、ニューヨーク公共図書館でオンラインの授業を受け始めたんだ。それを始めたのが2010年の10月か11月で、ニューヨークで上映されている名画、独立系映画や実験映像を総括的に見られるリソースを創ろうと試みてた。
その頃は「ヴィレッジ・ヴォイス」とかの媒体がまだ存在していたし、「Time Out New York」 や「ニューヨーカー・マガジン」、「ニューヨーク・タイムズ」も地元のイベントをカバーしていたけど、どうしてもおおまかな取り上げ方だった。例えば、その週の5つの目玉上映会だけだったり、それも「フィルム・フォーラム」(注2) や「リンカーン・センター」(注3) とか有名どころの映画館のことばかり。地元メディアが右肩下がりの中、最初に消えて行くのはローカルの情報だった。ネットに情報を移していく中で、地元よりも国中の読者へ向けて配信し始めるからね。 加えて、総括的なデータベースを作るのって本当に手間と資源がかかる。 だから、オンライン化していく中で、掲示板的なカレンダーは様々な媒体で消えていった。
だから自分でブックマークとかして作り始めたんだ。 まずは、どんな上映場所があるのかリサーチしはじめた。 言うまでもなく、「アンソロジー・フィルム・アーカイヴ」、フィルム・フォーラムや「MOMA」等のことは知っていたけど、他に知らない場所はあるのかなって。そして、シネマに対する興味が増していくなか、自分自身がどちらかというと、実験映画やアヴァンギャルド映像、そしてメディア・アートの方に興味があるってわかったんだ。ギャラリーとか、もっとDIYな場所も他の劇場スペースと一緒に並べて、名画と言われる作品やクラシック・ハリウッド作品などと、主流ではない映像作品も対等な位置づけをすることが僕にとって大事な気がした。

AM 確か、メーリングリストとして始まったよね?

JD そうでもあり、そうでもないんだ。 僕が思い描くデータベース的なものを作るには、暇な時間にオンラインのチュートリアル動画で学べるスキル以上のものが必要だって気づいたんだ。だから、とりあえずWordpressっていうブログ・サイトでブログをはじめたんだ。毎回自力で情報を見つけて、コピペで情報をブログポストとして投稿しはじめた。その頃、僕にとってはとても重要な体験となったのが、「フラハティー・セミナー」(注4) で働き始めたこと。そこでいろんな実験映画やノン・フィクション映画を見たり、映画プログラマーの人たちと繋がることができた。
ペニー・レーンっていう映画監督がいるんだけど、彼女が僕のブログ・ポストを毎日メールとして受け取る機能がWordpressにあるって気づいたんだ。それで、彼女が友だちにそのことを伝えはじめて、その人たちが毎日メールが届くように登録しはじめたんだ。最初は数人の人だったけど、12人から24人くらいの人たちがその時点で毎日配信されるメールとして使いはじめてくれた。僕ははじめた当初からウェブサイトというよりもオンライン上のデータベースを目指していたんだけどね。その日の上映会だけじゃなくて、その先の日程の情報も見られるように。

読者が広がる

AM いつ頃から読者から反応が来るようになったの?

JD はじめから、口コミで、自然に広がってくれたらいいなって思っていた。現実的にいうと、それ以上のことをする余裕はなかったってこともあるんだけど、どう言えばいいのかな?有害な"シネフィル毒"を持った読者層を開拓したくなかったんだ。どちらかというと、自分と似ている、広範な興味を持って、発見を求めて映像芸術を広く受け止める人たちと繋がりたかった。クラシック・ハリウッド映画オタクとか、ジャン=リュック・ゴダールのいわゆる王道の「アートシネマ」ファンばかりではなく、基準とされている文脈の外のものにも関心を持つ人たち。
だから、フラハティーセミナーとかで出会った人たちを通じて徐々に・・・、そういう意味では自分で選別していったのかも。もっと言うと、僕は実はチープな映画が好きで、B級映画とか、ホラー映画とか...でも、このサイトは僕の趣味だけのものにもしたくなかった。でも、『ストリート・トラッシュ』(邦題:『吐き溜めの悪魔』、1987) を取り上げることを不快に感じる人にはこのサイトは向いてないかもね。ハイブラウな知的文化とローブラウな大衆文化、どちらに対してもオープンでいたい。そして、自分が日頃見慣れているもの以外のものにも挑戦する意欲、そいうものに何か価値を感じる人のために。だから、ある日突然、読者が増えたっていうよりは、徐々に広がっていったんだと思う。とは言っても、実は...。

AM 何?

JD まあ、最初の方で一気に多くの人にサイトを紹介してくれたのはパンク・ロッカーのリチャード・ヘルかな。実は、彼には僕から勝手に連絡して「ロベール・ブレッソンの『たぶん悪魔が』の上映会を一緒にしないか」って誘ってみたんだ。彼はその作品について別のところで書いていたから。彼の舞台挨拶付きで上映会を企画したかったんだ。結局、その企画はまとまらなかったんだけど、そのとき、スクリーン・スレートを読んでくれて、すごいファンになってくれた。多分、音楽活動を始めたばかりの頃、彼みたいに伝説のCBGBライブ会場とかで働いていたパンクたちは、映画グッズショップとかでも働いていたから、僕のサイトのDIY感と映画愛に何か共感するところがあったんだと思う。
だから、その後、BAM(注5) でその映画が上映されることになったときには、彼の方から連絡があって、上映会後のトークバックで対談してくれないかと誘ってくれた。その前からいろんな友だちにスクリーン・スレートのことを紹介してくれたり、いろんな人にメールをして口コミで広げてくれた。あれは本当にクールだったよ。お陰である程度の劇場スタッフやアーティストやミュージシャンたちとつながる基盤ができた。 それが2012年半ば頃のことかな?始めてから1年ちょっとくらいたった頃。
でも、本当ここ数年だよ、いろんな劇場に真剣に受け止められはじめたのは。もちろん、ジャパン・ソサエティーみたいなところは別で、昔からだけどね。笑 ここ数年、いろいろな劇場でスタッフの入れ替えがあったのも大きいと思う。例えば、リンカーン・センターからリチャード・ペニャさんが引退したり、MoMAでも結構入れ替わりがあったよね。最近になって、劇場が自分たちの映画を広報する媒体がないって気づきはじめたんだと思う。それまで、取り上げてくれていた媒体が消えはじめていた。多分、はじめの頃は「何だ、この変な奴、何でうちの劇場についてメールを配信してんだ?」って怪しまれてたと思う。でも、今となっては...消去法みたいな感じで、今は他の広報手段があまりないんだと思う。

AM 今は劇場側から連絡が来るの?

JD うん、奇妙な立ち位置になったよ。何と言えばいいんだろう...原点として、スクリーン・スレートはアウトサイダーの立場だったから、誰かに恩を売ったり、他の人たちの気持ちを忖度したりしないで、自分たちが好きなことを好きなようにやって来たんだ。でも、ローカル・ニュースが減る一方で、一種の責任感が生じてきた。特に、この頃はリーチが広いから。とは言っても、今までずっとスクリーン・スレートはボランティアで成り立っているから、そこまで労力を割けないし、全てに焦点を当てることはできない。だから、いろんなところから「取り上げて」って連絡が来るんだけど、残念ながら全てについて書くことはできない。

AM でも、スクリーン・スレートのいいところは、冒頭で取り上げられる上映会以外にも、全ての上映会がちゃんとその下に掲載されてるところだよね。

JD うん、その通り。見つけたい人のために、いつも載せてる。

(後篇に続く)

注1:シカゴにはcine-filというメーリングリストがあり、数年前まではLAにはFilm Radarというウェブサイトがあった。今は完全にボランティア運営のLA Cinema Calendarというグーグル・ドックが存在する。
注2:1970年創立のウェスト・ヴィレッジにある老舗の非営利ミニ・シアター(https://filmforum.org/)
注3:1969年創立のアッパー・ウエスト・サイドにある映画機関(www.filmlinc.org)
注4:1954年にはじまり、ドキュメンタリーや実験映像を一週間、合宿状態で朝から晩まで映像関係者や学生が、作品を見るという斬新な形態の映画セミナー。(theflaherty.org)
注5:BAMcinématek は1999年創立のブルックリンにあるアートシアター。

ジョン・デリンジャー John Dieringer
オハイオ州カントン出身。スクリーン・スレートの創立・発行・編集者。エレクトロニック・アーツ・インターミックス(EAI)でテクニカル・ディレクターとして映像の保存とアーカイブを担当する一方、単独で映画プログラマーとしても活動している。スクリーン・スレート以外にもTIMEマガジン、BOMBマガジンやヴィレッジ・ヴォイス等にアート、映像、写真などについて寄稿している。映画プログラマーとしては、ブルックリンのマイクロシネマ「スペクタクル」のプログラムに長く携わっているほか、アンソロジー・フィルム・アーカイヴやリンカーン・センター等でも特集を組んでいる。 メディア・アーティストとしても活躍中。
聞き手:
増渕愛子(ますぶちあいこ)
東京・下町出身。ニューヨークを拠点とする映画プログラマー・ライター・翻訳家。
MoMAの映画部や自然史博物館等での経験を経て、2013〜2018年ジャパン・ソサエティー映画部のシニア・プログラマーを務める。2018年からはフリーランスとなり、フィルム・フォーラムなどでゲスト・プログラマーとして仕事をしている。映画サイトMubi等に記事を掲載中。スクリーン・スレートは2011年から愛読し続けている。

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