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インタビュー・コラム

ニューヨークのアート系映画のウェブサイト "SCREEN SLATE" ジョン・デリンジャー氏インタビュー 後篇

(前篇を読む)
スタッフが増える
ARTICLESのページ ※一部抜粋

AM いつからスタッフが増えたの?

JD 初めたばかりの頃は、とにかく実用的なリストをつくることを想定していて、特別に編集したり、コメンタリーを付けようとは思っていなかった。でも、リストを作ってネットに載せようと思ったとき、どうせだからちょっとした紹介文を載せようと思った。その日のイチ押し上映会について、とかね。実際そのとき読んでくれたのは2人くらいだったと思うよ...母親ともう一人くらい...母親と父親。でも、その日から毎日書くようになった。それから一年くらいは本当に毎日欠かさず何かを書いた。365日、冒頭に一つスチールを入れて、その日のオススメについて一章くらい書いて、他にも2〜4作ハイライト作品を選び、それらについて1〜2行書いた。
ある日、幼馴染で親友のパトリック・ダールが「ゲスト・ポストを書いてみたい」って言って来て、たまにポストを書いてくれるようになった。それに加えて、その頃僕は、DIYのマイクロ・スペース「スペクタクル劇場」でボランティアしていて、運営とかいろいろな面で関わってたんだ。それで、スペクタクルの人たちも「書きたい」って言って来て、今でもよく書いてるコスモ・ビヨーケンハイムやヴァネッサ・マクドナルドとか。その頃から、僕、パトリック、コスモとヴァネッサのローテーションが始まったんだ。それまでは、自分でその日の上映会リストを記入してたから、本当に忙しくて、たまに諦めて「今日はリストアップだけで、記事はなし!」っていう日もあったんだけど、僕ができない日は可能な限り、他の2人が書いたりしているうちに、書いてくれる人も増えていった。
でも、いまだに一度も誰かに「書いて」ってお願いしたことがない。第一の理由としては、原稿料を支払えないから。お金を払えないのに、ネーム・バリューがあるとか言って仕事をしてもらうのは気がひけるんだ。(注6) だから、書きたい人に書いてもらってる。でも、たまに、そんな事情を知らずに連絡してきて、全てがボランティア運営だと知った瞬間音信不通になる人もたまにいる・・・まあ、それはそれでいいんだけど。たまに、連絡して来てくれる人の中にちょっと波長が合わない感じの人もいるんだ。全てボランティア運営ではあるんだけど、一応、ある一定のスタンダードや「色」を大事にしようとしていて、たまにそれに合わない感じの人もいる。

AM それって直感的な感じなの?

JD よく言うことなんだけど、ライターは雰囲気で決めていることが多いと思う。実際、それである一定の雰囲気を世に出していることになると思うんだ。様々な背景を持った多様なライターと一緒に仕事して、主流から外れた作品を取り上げて、多様性に対してオープンな姿勢でいること...それが一番のやり方な気がするし、今のところそれでうまくいってる。

AM データを作っているわけじゃないもんね。どうやって10年近く続けてこれたと思う?

JD 勢いかも。そして、習慣化していること。昔、愛子(聞き手)に言われたことだけど、「歯を磨くことみたいに」ね。時には二日酔いだったり、ソファーで寝ちゃったりして、363日くらいしか歯を磨いてないかもしれないけど、スクリーン・スレートは本当に毎日やってることなんだ。読者がいるからかもしれないけど、責任が増していく感じがある。ある程度は習慣でもあるんだけど、ある意味、何か僕も証明したいものがあるのかな?なんだろう...自分が見たい変化を世にもたらしたいのかな?いや、他の人にも僕のように間違いかもしれないことをする勇気を与えたいのかも。(苦笑)
数年前、キックスターターのキャンペーン(クラウドファンディング)をして、その結果、サイトを再構築することができたんだ。ウェブ・デベロッパーと一緒に作って、再起動した時、これからは本当に毎日何か記事を出す必要があると思って、コラボレーターを増やした。うちのカレンダーはライターたちに誘導されている。ライター陣のメール・グループがあって、全員にいろいろな劇場から来るプレス・リリースを共有している。そして、週一回カレンダーをチェックして、どの日がまだ空いているかとか、次は何が掲載される予定だとかチェックしている。でも、最終的にはライターたちが書きたいかどうかで決まっていくことだから「この上映会は本当に貴重だから、絶対誰か書いて」って僕から言うことは本当に稀なこと。もし、僕自身がとても押したい上映会があれば、自分で書くか、他のライターに勧めたりはする。例えば、今晩の『山谷~やられたらやりかえせ~』(注7) の上映会とかね。

ニューヨークの上映界の変化

AM スクリーン・スレートという形で上映会シーンに関わることでニューヨークの上映の世界を、独自の視点から見ているんじゃないかと思うんだけど―

JD 特にはじめの頃はね。今はサイトの価値が評価されて、いろんな上映会場が自分たちで情報をサイトに記入してくれるけど、はじめの5年間は(今も大半はそうなんだけど)全ての上映会を自分で記入していた。だから、包括的な視点で見ることができるし、トレンド的なものが見えてくることもある。歴史的に見て面白いと思うことのひとつは、スクリーン・スレートが始まったばかりの10年前、35ミリからデジタル上映への切り替えを目撃したこと。始めた頃は上映フォーマットとかは映画館はあまり記載していなかった。大体は35ミリだったから、何かの理由でDVD上映になった場合だけ、「申し訳ないですが、今日はDVD上映です」って劇場側が掲載してる感じだった。でも、その1、2年後、ちょうどフィルム・フォーラムが「This is DCP」(これがDCP)というシリーズをやった時を境に、皆切り替えはじめた。

AM それを目撃したんだね。でも、スクリーン・スレートは初めから上映フォーマットを記載してたよね?

JD うん、でも、超頑張ってフォーマットの情報を追求するようなことまではしてなかった。劇場側がそれを記載してなかったら、電話やメールでわざわざ聞いたりもしてない。

AM 他に気付いた変化とかある?

JD 今ではちょっと力を無くした言葉になっちゃったけど、皆「Diversity」(多様性)について意識的になっていると思う。ジェンダーや人種的マイノリティーがプログラミングの内容やプログラミング・スタッフの面で疎外され続けている。キュレーターたちも個人の背景に関係なく、どうやってプログラミングに多様性をもたらすかということに挑戦している。そういう意味ではとてもいい変化だよ。ちょっと悲観的になってしまうこともあるけどね。例えば、ワインスタイン・カンパニーの件が起きた後、皆が「映画界の女性」みたいなシリーズをやっていて、あまりにも見え見えな感じがした。悪いことではないんだけどね。どんな業界や人間も、何かを変えないといけないとなると、成長痛みたいなことを経験するのかな。「名作」と言われてきた一定の作品以外の作品にもどんどん目が向いている気もする。いろんなレプレゼンテーションや、いろんな国のシネマ、いろんな時代が取り上げられていると思う。何度も上映されてきた『アニー・ホール』みたいな作品の再上映よりも、今まで見落とされてきた物に気を使うようになってきている気がする。

スクリーン・スレートが大切にしているもの

AM スクリーン・スレートはどんなコミュニティの人たちのためにあると思う?

JD できる限り、発見とコミュニティ意識を大切にしようと心がけてはいるよ。比較的に非競争的な雰囲気。近年、二ューヨークのプログラマー同士が協力しあうようになって、競争的じゃなくなってきてるって聞いてる。以前に比べて、もっと皆オープンになってきているって聞いていて、すごくいいと思う。そんなコミュニティのためのものであり続けたい。発見をしたい人、誰にでもね。

AM そうだと思う。劇場と劇場の関係が変わってきてる気がする。他の映画館が同じ作品やったら人が来ないって感覚が薄れてる気がする。私の経験からしか話せないけど、他の劇場と協力しあって上映会をする方が結果として、映画のことを知ってくれる人が増えて、動員数も増える気がする。

JD 本当そうだよ。

AM でも、それってスクリーン・スレートと共通してるよね。どの上映会場も横並びにして掲載してるもんね。

JD うん、全てが平等に位置付けられている、アルファベット順に並べているだけ。会場にヒエラルキーを作らないこと。予算、場所や運営方法関係なく並べること。例えばスペクタクル劇場とMoMAとでは規模も予算も立地も異なるけど、プログラミングやその環境での体験の質に区別はつけない。

AM でも、ある一定の線引きはしてるよね。酒場とかでの上映会は基本記載してない。

JD うん、特に「映画祭」とかってなると線引きが難しくなってくる。だって、最近では年中、なんちゃら「映画祭」がNYで行われてる。多分、全てを知ろうとしても知ることができないくらいの量。で、本音を言うと、大半が最悪。かなりニッチな趣味的な映画祭だったり、応募費用で人を食い物にするようなことをしているところとか・・・この10年、ニューヨークの上映事情に人生を費やしてきた僕でも聞いたことがない「映画祭」とかね。応募するために50ドルの費用をぼったくって、最終的にはバーで上映するだけの所とか・・・そういうところは応援したくない。

AM 悪い映画プログラミングって何だと思う?

JD そうだね、いろんなのがあると思う。例えば、全ての映画祭から落とされた作品ばかり集めて、お遊戯会みたいな感じの上映とか・・・どうしようもなく、ひどいって思ってしまうことがある。いいプログラマーって独自の色を出してくると思うし、その色から信頼性までも感じさせることができる。誰かが本当にリサーチして、意義を持ってプログラミングしていると、それは伝わってくる気がする。

AM これってよく考えることなんだよね。私も感じる。感覚的や直感的なことでもあるんだけど、プログラミングの良し悪しって言語化する必要もあると思うんだよね。だって、プログラマーであるということは「スクリーン」という公へ向けた「場」を「使う」立ち位置にあるってことだもん。

JD スペースってとても重要だと思うんだ。映画館であろうと、音楽会場であろうと、ギャラリーみたいな場所であろうと、とにかく何かを見せようと思ったら、特にNYみたいなところでは、場所をもっているってことはそれだけでかなり価値がある。だから、スペースがあるんだったら、そこで何をしたいかだよね。どういう価値観を代表するとか。
『アニー・ホール』の話に戻るけど、最近まで数年に一度の頻度で『アニー・ホール』の新しい修復版が出てきてた感じがあって、そればかり上映するところって明らかに怠けてると思う。でも、それはある意味では、いいプログラミングでもあるんだよね。結局、皆あの作品が好きで、特に、NYでは収入に繋がる。だから、悪くもあり、良くもあるプログラミングってあるよね。
プログラミングの<ウッディー・アレン現象>みたいなものがあって、毎年、プログラマーとかの休暇が多い時期になると、とりあえず何かかけないといけないっていうことで、皆ウッディー・アレンのNY映画を上映していた。でも、最近ではそれを上映しても人が入らない...近頃、NYでお金になってるのはロメール作品かな?

AM これからスクリーン・スレートがしていきたいことは?10年後はどんな感じ?どういうものを大事にしていきたい?

JD この10年、スクリーン・スレートは信頼性とコミュニティ精神を定着させてきた気がするから、もし10年後、このサイトがあっても無くても、そういうふうに覚えられていたいな。それで、自分のコミュニティの中で何か足りないものを見つけた人たちが、利益になるかとか関係なく、その穴を埋めるために何かやってみようと思ったときに、スクリーン・スレートを思い浮かべてくれるような、そんな存在になれたら嬉しいな。難しいかもしれないし、不満もいっぱい付いてくるかもしれないけど、そんな苦労が花だぜってね!

注6:このインタビューをしたすぐ後に、読者からの支援を元に、少ない額ではありながらも、ライターに少し支払えるようになった。
注7:2019年11月10日、聞き手である増渕愛子の企画で、映像作家、ジョナス・メカスが創立したアンソロジー・フィルム・アーカイヴで上映された。

ジョン・デリンジャー John Dieringer
オハイオ州カントン出身。スクリーン・スレートの創立・発行・編集者。エレクトロニック・アーツ・インターミックス(EAI)でテクニカル・ディレクターとして映像の保存とアーカイブを担当する一方、単独で映画プログラマーとしても活動している。スクリーン・スレート以外にもTIMEマガジン、BOMBマガジンやヴィレッジ・ヴォイス等にアート、映像、写真などについて寄稿している。映画プログラマーとしては、ブルックリンのマイクロシネマ「スペクタクル」のプログラムに長く携わっているほか、アンソロジー・フィルム・アーカイヴやリンカーン・センター等でも特集を組んでいる。 メディア・アーティストとしても活躍中。
聞き手:
増渕愛子(ますぶちあいこ)
東京・下町出身。ニューヨークを拠点とする映画プログラマー・ライター・翻訳家。
MoMAの映画部や自然史博物館等での経験を経て、2013〜2018年ジャパン・ソサエティー映画部のシニア・プログラマーを務める。2018年からはフリーランスとなり、フィルム・フォーラムなどでゲスト・プログラマーとして仕事をしている。映画サイトMubi等に記事を掲載中。スクリーン・スレートは2011年から愛読し続けている。

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