シネマガジン

インタビュー・コラム

Fシネマップ開設記念イベント ディスカッション vol.2

ディスカッション:映写で映画が完成する~映写という仕事について


司会:
志尾睦子(高崎映画祭/シネマテークたかさき)
登壇者:
鈴木直巳(鈴木映画)
とちぎあきら(東京国立近代美術館フィルムセンター)
堀三郎(アテネ・フランセ文化センター制作室)
神田麻美(映写技師/東京国立近代美術館フィルムセンター客員研究員/Fシネマ・プロジェクトスタッフ)

vol.1からの続き

映写で映画が完成する


 映画館の改修工事のとき第一にやるべきこととして、映写室のなかを明るくすることです。私は、日々の映写後、きっちりメンテナンスできるように、映写室を充分な明るさにするために蛍光灯を入れようと提案してきました。映写機やコンセント、ケーブルにたまっているホコリ、映写機自体から油が漏れることがままあるので発火の危険性があり、電気火災が起きることがあります。映写室を、清潔なキッチンのように明るくすれば、映写機を大事にすることができます。映写時の暗さのままだと、1年たってみたらホコリだらけだったということがままあります。
 映写技師のモチベーションをあげることも重要です。たとえば最良の音量を設定できるように客席にリモートコントローラーをいれて適切な音量設定をできるような装置の導入や、映写室と客席を頻繁に行き来できる通路を設けることも必要でしょう。小さな窓からしか覗けないというのは問題です。
 かつて、映画美学校試写室で見習技師を指導していただいた先輩映写技師は、映写中はずっと立ったままでフォーカスやフレームを合わせ続けていました。残念ながら一定の指導が終了した後の若い技師は途中から座って映写していました。
 技術の継承は大変です。私論ですが、映写技師には才気煥発で呑み込みの早い人より、覚えるのが少し遅くてもおもしろさを自分で発見する人が合っていて、そういう人が映写を大事にしていくように思います。
 ある映画で、鈴木映画の先代社長の鈴木文夫さんの名前がエンドロールに出てきて、驚いたことがあります。監督は、映写技師である鈴木さんの名前を入れるべきだと言いはったと聞いています。このディスカッションのテーマは「映写で映画が完成する」ですが、まさに映画の作り手側もそれを認識していたのではないでしょうか。


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志尾 高崎映画祭では15~6本ぐらい、オリジナルがフィルムの作品についてはできるだけフィルムで上映するようにしています。私は、デジタル上映の機材にはこわくて手を出せないのですが、フィルム上映を続けたいと思うのは、フィルム上映では、制作者の意図を画面に映すことに少しでも関与することができたと自負することができるからです。意図を映すというのは、上映のひとつの指針であり、35mmフィルムは、これからも上映者にとって大事なものでありつづけると思います。では、映写専門の立場から、映画上映はこうやってほしいというご意見はありますか。
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とちぎ フィルムの保全に留意しつつ、上映も適切にやっていただくということ以上の細かいことはありません。フィルムセンターでは、フィルムを1巻ずつ上映する、いわゆる「巻(玉)がけ」を原則としています。フィルムをつなげて上映すると、巻末と巻頭でフィルムのカットとスプライスをくりかえすことになるので、フィルムが傷むからです。映写については映写技師さんにお任せする、作品を理解して上映してもらうということを基本としてお貸ししています。
 抽象的な言い方しかできませんが、そもそもフィルムを取り扱うということには、"聖なるもの"を扱うような感覚があったように思います。フィルムには、人間にはコントロールできない何かがあって、それを敬いながら扱わせていただいているような感覚がある。これは、ポスプロなどの技術者の方がよく言われるのですが、フィルムをデジタルデータにうつしかえると、ひとコマひとコマを補正することができる、ひとコマの中で部分的に色を変えることもできるというように、映像の細部を補正できる可能性が幅広くなりますが、そういう細部に集中してしまうと、映画を全体として体験すること、作品を全体の流れのなかで受け取ること、映画を鑑賞するときの"体験としての真実性"が失われてしまうというようなことを、しばしば言われるんですね。最終的に、上映される90分というつながった時間のなかで見て、初めて映画を体験したといえるもので、それを考えながらつくり手は作品を作っているし、ポスプロの技術者もそれを考えて、色、濃度を調整し、補正をしてきたと思うのですが、そこがいま崩れてきているといいます。映画が"神聖なもの"であるという感覚が失われていると感じます。


Fシネマ・プロジェクト


志尾 今回のディスカッションは、フィルムでの上映環境を確保していくための「Fシネマ・プロジェクト」の一環として実施しているのですが、みなさん共通しておっしゃっているのはオリジナルの、制作者の意図を、映写を通してきちんと再現するということですね。そう考えてフィルムの上映を続けることが上映者の育成にもつながっていくし、映画を見ること、体験することも守られていくことになると思います。


神田 映写の仕事は、作り手の意図を映写によって損なうことがないように、与えられた環境の中で最良の上映をするということだと思います。と考えると、フィルム上映することを前提に作られた作品は、できるだけフィルムで上映するべきだということになります。旧作には、デジタル化されていない作品、フィルムでしか見られない作品がたくさんあります。コミュニティシネマセンターのFシネマ・プロジェクトは、フィルムで映画を見ることができる環境を確保するためのプロジェクトで、「Fシネマップ」はそのためのサイトです。このサイトでフィルム上映を行う手助けができればと考えています。
 フィルムとともに映写機は100年以上続いてきました。フィルム映写そのものがひとつの文化であり、その文化を継承していくことが重要だと思います。


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志尾 映写そのものが大切な文化であるという話がありましたが、今後、フィルムでの映画上映がなくなる可能性はあるのでしょうか。


とちぎ そういうことにならないようがんばりましょう。フィルムセンターは、現在、約7万5000本のフィルムを所有しており、今でも年間におよそ3500本のフィルムを新たに収集しています。3500本のうち300本は新たに焼いたプリントで、このペースを守っていきたいと考えています。フィルムセンターのフィルムは、館内と館外で年間約1000本上映され、観客数は館外館内あわせて約20万人。それらの方が35㎜あるいは16㎜フィルムを見ています。日本の映画館全体の観客数は年間1億6千万人ですから、それと比較するとごくごくわずかです。でも20万人が見ている1000本を、これからも文化として継承し発展させることを、国の機関が税金を使って行うべきだという意識が社会で共有される状況になるように活動したいと思っています。
 デジタル・メディアの保管問題のひとつのソリューションとして、あえてフィルムで残しておくという手段があります。オリジナルがデジタルでも、フィルムでネガプリントを作り、3色分解して白黒フィルムで残す。そうすれば500年もつ。ただ、年間400本が劇場公開されている現在、何本の作品がそうできるのかという問題がありますが、この手段をデジタル・メディアの保管のソリューションとして、並行して真剣に考えるべきだと思います。


志尾 フィルムやデジタルの素材があるだけではお客様の目に届かないので、映写技師の技術力を継承することも大事ですね。


神田 いま、私はフィルムセンターの客員研究員として、映写に関するマニュアルを作っています。明日は、このFシネマ・プロジェクトの初めての試みとして、「映写技師のための『フィルム映写ワークショップ』」を実施しますし、Fシネマップの中にも、若い映写技師の方たちの役に立つ情報を盛り込んでいきたいと思っています。

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とちぎ アーカイブ機関はこれから教育にも貢献することが大切だと考えています。安全な環境で保管を行う、適切な複製を行う、作品に相応しい上映・映写を行う、そして最後に、お客さんが映画をきちんと味わえるような鑑賞能力を養うことができる機会を作る。アーカイブの第4の柱として教育があると考えています。


志尾 きょう、このイベントを、この高崎電気館で開催することにも大きな意味があると思っています。高崎電気館は、大正2年に作られた映画館で、当時の映写機も残っています。これからも、フィルムでの上映が続けられるように、このような議論を続けていきたいと思います。きょうはどうもありがとうございました。


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