シネマガジン

ディスカッション・イベントの記録

全国コミュニティシネマ会議2018分科会採録
地域の映像アーカイブとその活用について 3.11が遺したもの

◎パネリスト
石原香絵[NPO法人映画保存協会]
坂本英紀[NPO法人20世紀アーカイブ仙台]
田中千秋[せんだいメディアテーク 企画・活動支援室]
畑あゆみ[認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭]
◎司会
小川直人[せんだいメディアテーク|コミュニティシネマセンター]
小川|分科会「地域の映像アーカイブとその活用について」、司会の小川直人です。ふだんはせんだいメディアテークという文化施設で仕事をしていて、パネリストの田中千秋さんとは同僚であり、また、山形国際ドキュメンタリー映画祭で東日本大震災の直後から始まった特集「ともにあるCinema with Us」の第2回からのプログラム・コーディネーターとして、畑あゆみさんとも一緒に仕事をしています。
さて、2011年の東日本大震災の後、「アーカイブズ」あるいは「映像アーカイブ」に対する社会の関心が高まったと感じている方は多いでしょう。特に直接の被災地では、地域の記録や資料だけでなく、個々人の思い出の写真などが失われ、それらが失われてしまうと私たちは過去を振り返ることができない、未来を思考することができないということが身に染みてわかりました。一方で、震災にまつわる膨大な記録-映像に限らず、写真、文字情報も含め-がなされ、それらをどのように保存・公開していくかという課題にも直面しています。
そうした実感と課題の中にある私たちが、今後、東日本大震災のことに限らず、地域の映像資料の保存や活用にどのように取り組んでいくべきなのかを考える時間にしたいと思います。

きょうは、4人の方に取り組みをご紹介いただきます。
まず、畑あゆみさんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局で「ともにあるCinema with Us」プログラムを担当され、震災に関わる映画のアーカイブ「311ドキュメンタリーフィルムアーカイブ」を立ち上げました。
次に、田中千秋さんには、せんだいメディアテークで震災後に立ち上げられた「3がつ11にちをわすれないためにセンター」、通称「わすれン!」という、市民協働で東日本大震災アーカイブをつくる取り組みについてお話しいただきます。そして、20世紀アーカイブ仙台の坂本英紀さん。実は、坂本さんとも以前から関わりがありまして、震災後にはコミュニティシネマセンターの「シネマエール東北」の宮城県担当として大変お世話になりました。畑さん、田中さんには東日本大震災における映像アーカイブについてお話しいただきますが、坂本さんには、そこから拡げて、コミュニティの映像アーカイブとしての活動をご紹介いただきます。
最後に、NPO法人映画保存協会(FPS)の石原香絵さんです。石原さんには、FPSの活動を紹介いただきながら、映像アーカイブの専門家として、広い視点、基本的な視点から映像アーカイブとは何かについてお話しいただきたいと思います。
Presentation 1
311ドキュメンタリーフィルムアーカイブ
畑あゆみ[認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭]

東日本大震災があった2011年は、山形国際ドキュメンタリー映画祭の開催年でもありました。3.11の後、映画祭の開催が危ぶまれる時期もありましたが、震災直後から被災地に入って記録していた作家たちからは、撮ったばかりの映画が映画祭に続々と送られてきました。これらを映画祭で上映するため、急遽、震災復興支援上映プロジェクト「ともにあるCinema with Us」を立ち上げ、秋の映画祭ではフィクションを含む29本を上映しました。セレクションは全くせず、出品されたものはすべて上映しました。その後、昨年の2017年の映画祭まで「ともにあるCinema with Us」部門を継続しています。
2011年以降、主に研究者の方々から、震災関係の記録映画を保存しないのか、データベースをつくらないのかという問い合わせを受けました。私自身も関心があったので、2013年頃からアーカイブを立ち上げるにはどうすればいいかと考えはじめました。予算もない中で準備を進め、小川さんにも相談に乗っていただき、2014年11月、フィルムライブラリーの中に小さなアーカイブをつくることができました。
山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された作品を保存・活用するための「ドキュメンタリーフィルムライブラリー」が、山形ビッグウィングという建物の3階にあります。ここには温度15度、湿度50%以下の収蔵庫があり、1989年の第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭から現在まで、映画祭で上映された数多くの作品を収蔵しています。インターナショナル・コンペティションの作品は、当初は35ミリ、16ミリフィルムに日本語字幕をつけて上映していました。こういったフィルムをライブラリーで保管するとともに、国内で上映ができるように契約を結んで非営利で貸出しています。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品などもあり、現在も海外、国内いろいろなところで上映されています。試聴用のブースもあります。このライブラリーの一角に、「311ドキュメンタリーフィルムアーカイブ」があります。現在、登録作品数108本のごく小規模なアーカイブです。

理念・目的と事業概要
311ドキュメンタリーフィルムアーカイブの目的は、「東日本大震災に関わるすべての記録映画・関連資料の永年保存・資料公開」です。ただ集めるだけではなく、活用することが大きな目標になっています。活用の方法としては上映会が一般的ですが、より多くの人に見てもらうためにはどうすればいいのか、日々考えています。データベースをつくり、復興・防災等に関する研究に役立てる、震災の記憶を次世代へ伝承する、あるいは映画作家に制作に役立ててもらうということもできればと思いますし、災害史、映像・メディア史研究の基礎資料にもなるのではないかと期待しています。また、視聴・上映者と作品・製作者がつながる場もつくりたいと思っています。
関東大震災の映像があまり残っていないことが、映画史研究上問題になっているので、できる限り、残したいと考えています。311ドキュメンタリーフィルムアーカイブの事業内容は以下の通りです。

- 東日本大震災に関わるあらゆる記録映画の上映用素材、視聴用DVD、および関連資料(広報物、カタログなど)の蒐集、保存
- 山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー内の視聴用ビデオブースにてDVD個人視聴の場を提供(無料)
- 特設ウェブサイトを設置し、作品データベースを公開(日英)(NDL「ひなぎく」とメタデータ共有)

コレクションの内容
現在、登録している108本のうち、現時点で上映素材を収蔵しているのは71件で、配給中の作品や大手配給会社の作品などはまだ登録に至っていません。上映素材としては、ブルーレイ、DVD、データファイル、ミニDVDなどがあり、35ミリフィルムも1本あります。関連資料として、チラシ・ポスターやパンフレット、プレスシート、台本(字幕データ)なども保存しています。
国内制作作品が89本、海外制作作品が19本ですが、実際は共同制作作品も多く、ドイツ在住の日本人作家の作品もあります。字幕を付けるのは資金的に難しいので、日本語字幕の付いていない海外作品が7本あります。2013年以前の作品が82本と圧倒的に多く、福島の原発事故をテーマとする作品が51本で半分近くを占めています。(2018年9月末時点) 作品の情報はウェブサイトで見ることができます。
東日本大震災に関わる記録映画はすべて収集の対象としていて、プロ・アマ問わず、一般公開に向けて作られたものは可能な限り、すべて収集するという方針です。他の映画祭などに出品されたアート系の作品もありますし、自治体が教育目的で作った作品も入っています。これまでカメラを触ったことのなかった一市民がやむにやまれず作った作品もあり、震災以降を映像で記録したいという思いやそれに伴う様々な活動を知ることもできて、非常に興味深いと思います。日本国内にいてニュースを見ているだけではわからないような海外の反応も、アーカイブにある海外制作作品には含まれています。例えば、福島の事故の後、台湾で撮られた『演習』という作品は、台湾の原発の立地地域で行われている避難訓練を取材したもので、形式的な避難訓練ではなく、より実態に即した"演習"が必要であり、福島の経験から、できるだけ遠くまで逃げる、原発から離れることが大事だと訴える映画です。日本の皆さんにもぜひ見ていただきたいと思います。

今後の課題
現在までに、こちらで把握しているだけでも、世界中でおよそ450本近くの東日本大震災の記録映画が作られています。311ドキュメンタリーフィルムアーカイブに登録しているのは108本ですから、この4倍のものがあるわけです。今後はこれらの未登録作品を順次追加していけるよう権利者に働きかけていきます。また、大きな課題として保存媒体(メディア)の問題があります。ほとんどデジタル作品なので、今後、どのようなメディアで保存するべきなのかが課題です。ライブラリーの収蔵庫の維持管理にかかる経費をはじめ、運営費の確保も大きな問題です。加えて、フィルムライブラリーの立地があまりよくないので、県外の方に気軽に来ていただけないという問題もあります。これまでは、主に研究者の方が泊まり込みで来られるケースが多いようです。東日本大震災の史料保存に関しては、国立国会図書館の総合データベース「ひなぎく」もありますし、テレビ局は各局それぞれに震災に関る番組のアーカイブを持っているようですが、公開を目的とした記録映画作品の包括的なアーカイブは山形しかありません。何とか毎年予算を確保し、小さな規模でも維持・継続していきたいと考えています。

311ドキュメンタリーフィルムアーカイブ Webサイト:http://www.yidff311docs.jp/
Presentation 2
3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)
震災の記録・市民協働アーカイブの試み
田中千秋[せんだいメディアテーク 企画・活動支援室]

せんだいメディアテークは、2001年に開館した複合文化施設であり、生涯学習を担う施設でもあります。1階は、オープンスクエアと呼ばれる様々な催しが行われるスペース、2階は映像音響ライブラリー、3-4階は仙台市民図書館、5-6階はギャラリーがあります。そして7階には、オフィスと市民活動の場であるスタジオがあります。「3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)」の活動場所はこの7階スタジオで、市民と協働し様々なメディアを使いこなすためのサポートを行っています。
2011年3月11日、メディアテークも大きな被害を受けました。幸い怪我人は出ませんでしたが、スタジオの天井部材が崩落し、図書館では本が全部本棚から落ちて散乱してしまいました。

2011.3.11東日本大震災後 7Fスタジオと3F仙台市民会館

さらに、4月の余震で並べた本がまた落ちるという精神的にショックなことがありました。そういう中、「わすれン!」は、2011年5月3日にスタートしました。
「わすれン!」は、「市民、専門家、アーティストなどの個人が、自らビデオカメラなどのメディアを用いて、震災とその復旧・復興のプロセスを記録、発信、表現していくためのプラットフォーム」です。その活動は、私たちスタッフが主体ではなく、「参加者とともに、利活用する場を通して、記録を循環させ、さまざまな方々に記録に触ってもらい、育てていく」ということが、基本コンセプトであり、市民と協働として進めて行く活動となっています。


「わすれン!」のしくみ
―記録そのものではなく、記録する人(参加者)を募集


私たちスタッフが主体的に現地に行って記録をするのではなく、東日本大震災について何か残さなければならないと思っている、記録したものがあるのでどうにかしたいという参加者を募集しています。これまでに約190名の方が登録、一般の市民はもちろん、研究者や、アーティストもおり、映画監督の小森はるかさんや濱口竜介さん、酒井耕さんも2011-12年には東北に滞在してせんだいメディアテークを拠点に作品を制作しています。小森さんは現在も積極的に活動を行っています。

― せんだいメディアテークの場所や機材を利用してもらう(パソコンやビデオカメラなど)
「わすれン!」に参加すると、撮影に必要なビデオカメラなどの機材を借りることができます。また、メディアテーク7階スタジオで映像の編集や打合せなどもすることができます。

― 記録を共有してもらう(権利処理をしたデータ)
記録は「共有」して、活用ができるようにしています。とはいえ、原版や権利は我々で所有せず、基本的にはコピーを保存しています。監督や製作者の活動をわれわれが制限することはなく、記録を広く普及させる前提で共有してもらいます。「記録そのものは撮った人のものである」という権利を尊重しつつ、利用に関しては、公的な施設にアーカイブされた公共財として幅広く利用ができるようにしています。メディアテークの中で利用すること、作品に影響がない形で、広報で使用することなどを記した「包括的利用許諾書」を提供者と交わし、「わすれン!」で保存した映像を利用する許諾を得ています。

― 記録の保存と活用に向けて考える(編集、整理、保存)
記録は、われわれメディアテークのサーバー等で保存できますが、それを利活用していくために、整理し編集する作業があります。参加者の皆さんが、全員そこまでたどり着くわけではなく、記録を共有しておしまいという人も、編集して仕上げる人もいます。それぞれの参加者と相談しながら、スタッフはアドバイスやサポートを行います。

― 記録の公開と発信(ウェブサイト、上映会、展示等)
2012年から毎年2月末か3月上旬頃に「星空と路」という上映会を開催していて、まとまった作品はそこで上映しています。2014年には6階のギャラリーで、展覧会「記録と想起 イメージの家を歩く」を開催しました。

展覧会「記憶と想起 イメージの家を歩く

この展示では、ギャラリー内に衣食住にまつわる部屋をつくって、その中で「わすれン!」参加者の映像を見てもらいました。「わすれン!」参加者の映像は、作品として完成されているのではなく、生活に寄り添った記録としての性格が強い映像が多い、そうした映像の見せ方を考え、まとめて展示することで、メディア・リテラシーのあり方を問いなおそうとする試みでもありました。2016年には「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」との共催で「震災と暮らし-震災遺産と人びとの記録からふりかえる」という展覧会を実施しました。ふくしま震災遺産保全プロジェクトは、福島県立博物館の保存技術を活かして看板などの現物を収集しています。彼らは資料を集めるエキスパートであり、一方私たちは現物はないがデータはあるので、それらを組み合わせてみようということで、コラボレーション展示をしました。例えば、津波による被害を受けた「請戸漁港」の看板の隣に、この看板がまだ請戸にあったときに撮られた「わすれン!」参加者の岩崎孝正さんの映像を並べて展示するというようなこともしました。

「震災と暮らし―震災遺産と人びとの記録からふりかえる」展より
津波による被害を受けた「請戸漁港」の看板。隣には、この看板が請戸にあった時の映像が並ぶ

常設的に記録にアクセスできるものとして、「わすれン!」のウェブサイトの他、2階の映像音響ライブラリーでは、移動式資料室「アーカイヴィークル」で資料を閲覧することができ、「わすれン!」で作った映像のDVDなどを見ることができます。DVDは、現在72本あり、貸出しも行っています。

利活用のモデルづくり
「わすれン!」は、デジタルデータによるアーカイブですが、記録がウェブサイトに公開されているだけでは、なかなか利活用されません。時にアナログな手法を取り入れて、記録に触れることができる道具や、記録をもとに対話できる場をつくり、還元していくことが必要だと考えています。そのためのモデルづくりを試行錯誤しながら続けています。

つい先ごろ、『コミュニティ・アーカイブをつくろう! せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」奮闘記』(著者 佐藤知久、甲斐賢治、北野央、晶文社、2018年)という本を出版しました。ここには、「わすれン!」がこれまで行ってきた活動や理念がわかりやすく紹介されています。また、本の出版にあわせて、2017年には「草アーカイブ会議2 コミュニティ・アーカイブってなに?」を開催しました。会議には、写真家の小岩勉さん、サイト・イン・レジデンスの坂田太郎さん、画家・作家の瀬尾夏美さん、remo(NPO法人記録と表現とメディアのための組織)のメンバーの松本篤さん、50年近く民話を採集してきた民話採訪者の小野和子さん、国立民族学博物館の映像人類学者の川瀬慈さん、フランスの映像作家のヴィンセント・ムーンさんなどを招いて、ディスカッションを実施し、「わすれン!」の活動や、人々が地域を記録し、アーカイブすることの意味や重要性について話し合いました。

草アーカイブ会議2「コミュニティ・アーカイブってなに?」(2017年12月23、24日)

「 わすれン!」の今後
8年目に入って「わすれン!」も変化しています。2011-2015年は、震災がもたらした自然発生的な事象についての記録が多かったようですが、最近では、参加者によるグループ活動の変化や拡大が起き、記録や資料の利活用という範疇を超えた活動が起きています。震災の余波から立ち上がってきた人々の活動のように思います。一例ですが、震災後10年に向けて、私たちは、改めて当事者の方に注目をしていきたいと考えています。
まだまだ復興・復旧がこれからの場所も多いし、仮設住宅にいらっしゃる方も多いのですが、公営住宅に移った人、自分の家を建てた人もいます。そういう中で、地域の復興のための組織など、この数年間でできたコミュニティが解散しているという状況があります。仙台市で津波の影響を受けた地域の人々が、震災後10年に向けて「自分たちの地域のことや震災にまつわることを記録して残そう」という話になり、「わすれン!」に参加登録し、自分たちでカメラを持って自分たちの地域のことを記録する活動を始めています。これから残されていく記録は、震災後の復旧・復興の中で思い浮かべることが可能になった、来るべき未来に対する想像のひとつになるのだろう、と感じます。これまでの記録の分析は十分にできてはいませんが、現在、直面している様々な課題や変化に対し、「わすれン!」という活動と、その社会的役割や価値を改めて言語化、文脈化し、広く周知できるように検討を進めています。

Presentation 3
20世紀アーカイブ仙台の活動
坂本英紀[NPO法人20世紀アーカイブ仙台]

市民の方々から押入れに眠っている8ミリフィルムや古い写真などを提供していただき、それを収集・保存・活用する、それが「20世紀アーカイブ仙台」の活動・目的です。この目的を掲げて、2009年にNPOを設立しました。


主な活動としては、昭和の時代の古い写真や8ミリフィルム等を収集し、撮影年や撮影場所等々のデータを入力しカタログ化するというアーカイブ活動と、収集したものをその地域の人たちに見てもらい交流してもらうための上映会や展示会の実施があります。また、古い映像が高齢者の心のケアや生きがいづくりに活用できるのではないかとういうことで、上映会とレクリエーションを組み合わせる「回想法」という療法を取り入れた活動も高齢者施設等で行っています。
提供していただいた映像は、20世紀アーカイブ仙台でDVDに変換して、提供者に無料で差し上げます。その代わり、その映像を20世紀アーカイブ仙台の活動で活用させてもらうための二次使用の許諾をいただいています。現在、宮城県を中心に、約6000点の古い写真と3000本の8ミリフィルムの映像を保存しています。
オリジナルのフィルムはデータ化した後、持ち主にお返ししていますが、もういらないと言われる場合もあり、大体20%ぐらいはオリジナルのフィルムも20世紀アーカイブで保存しています。
2011年の震災後は、被災地での上映活動が非常に増えましたが、きょうは、まず、被災地に限定しない、地域の昭和時代の映像の活用法についてお話しします。

NPO 20世紀アーカイブ仙台の活動

昭和の仙台8ミリ上映会
「昭和の仙台8ミリ上映会」は、2008年から「ホームムービーの日」仙台会場として仙台市歴史民俗資料館と共催で実施しています。私たちが収集した8ミリフィルムを上映し、8ミリフィルムの発掘にも努めています。上映会は、主に高齢の方々に懐かしい昭和時代の映像を見ていただき、その頃の思い出を話してもらうというものですが、いろいろな工夫もしています。昭和時代の様々な生活道具を持っていって、上映の合間にそれを見せて、使い方を聞いたりして、お話を盛り上げます。映像のひとつひとつは、3分とか5分の短いもので、運動会や結婚式、田植えやお花見など、様々なジャンルのものを何本も持っていって、それを上映した後に、参加者とお話しをします。運動会であればどんな種目に出たかとか、どこでお花見をしたかとか。ですから、上映会の名前は、「昔を語る会」としています。8ミリフィルムは音のないものが多いので、こちらで昭和時代の童謡や昔の音楽をつけています。
こういう上映会を老人福祉施設などでも実施しています。高齢者の認知症の予防や進行の抑制に効果が期待される「回想法」の素材として昔の映像を活用するもので、懐かしい昭和の映像を上映して、昔の思い出を楽しく語っていただきます。先述のように、お話のきっかけになるようないろいろな昔の道具を持っていったり、童謡や歌謡曲を歌ったりすることもあります。参加している高齢者が、だんだんと生き生きとしてくるのがよくわかります。
また、せんだいメディアテークの小川さんたちと共同で「どこコレ?」というイベントを長年続けています。これは、いつ、どこで撮ったかがわからない写真を展示して、市民の方に見てもらい、撮影地を特定する交流イベントです。

 
「昭和の写真」コレクションより

震災後の活動
震災後は、小川さんからコミュニティシネマセンターにご紹介いただいて、「シネマエール東北」の宮城県担当として7年間、被災地での映画上映をやらせていただきました。この活動が契機となって、被災地の昔の様子を撮った映像を集めることもでき、それを現地で見ていただくこともできました。

昭和15年石巻中学校

特に、岩手県ではNHK盛岡放送局と共同で岩手県内の古い映像を募集し、特集番組を2年間(年4本)連続して作っていただき、多くの映像を集めることができました。震災後の上映会などを通じて知り合った方に声をかけていただいて釜石市や宮古市、大船渡市でも多くの古い映像を集めることができました。最近は、仮設住宅から高齢者施設や復興公営住宅に移って新たなご近所になったお年寄りの人たちが、古い写真や8ミリ映像を見て、同じ時代を過ごした思い出を語る場をつくり、新しいコミュニティづくりにも役立ててもらっています。
私たちは、宮城県の写真や映像はかなり豊富に持っています。活用を希望される方はぜひご連絡ください。
今後、各地域で収集した昭和の映像を貸し借りできるような、コミュニティのアーカイブ同士のネットワーク、仲間づくりができればと考えています。

デヴィッド・ウィルソン|ブラッドフォードの「メモリーバンク・プロジェクト」は、20世紀アーカイブ仙台の活動に非常に近いと思います。私は、ブラッドフォードがユネスコの映画創造都市になって、様々な活動に従事していますが、このプロジェクトでは、鳥肌が立つほど感動した体験をしました。
メモリーバンクで重要なのはボランティアのトレーニングです。上映会のやり方を教えることを重視しています。上映して話をするだけじゃないかと言う人もいますが、そうではありません。思い出を守ることは非常に大事ですが、記憶は脆弱でよい記憶ばかりではありません。例えば1960年代や70年代の映像を見ながらかつて愛した人を失った思い出や、悲しく寂しいことを思い出すこともあります。ほとんどは楽しい思い出だと思いますが、実際のワークショップの報告を聞くと、心を乱されたという人も出てきています。ですから、ディスカッションの方向性を意識して誘導するにはちゃんと訓練された人が必要です。
こうした映像を使った活動がどれだけ認知に影響を及ぼしているか研究をするべきだと思います。記憶の喪失を止める効果に関する研究が進み、研究成果が発表されれば、このような活動が促進されるのではないかと思います。この活動を私は「フィルムセラピー」と呼んでいます。医療関係者からはセラピーという言葉は使ってはいけないと言われますが、私自身は、効果があることは間違いないと感じています。
※「映画創造都市 ブラッドフォード」のプレゼンテーションの詳細は、「映画上映活動年鑑2018」に掲載しています。
Presentation 4
映画保存協会(FPS)の取り組み
ホームムービーの日、文京映像史料館、災害対策部
石原香絵[NPO法人映画保存協会]

ホームムービーの日|Home Movie Day と映像アーキビスト
「ホームムービーの日」は、映画保存の重要性を訴えるため、2003年に米国の映像アーキビストたちが始めた国際的な記念日です。これに先立つ1994年、米国議会図書館は、アンソロジー・フィルムアーカイブズのジョナス・メカスやインディペンデントの映画作家フレデリック・ワイズマンといった日本でもよく知られている人たちを含む映画保存の実務者の意見を反映した上で、国として映画保存の重点をどこに置くのかを明示する報告書を作成しました。国が積極的に支援すべきは、映画会社が復元して新たな利益を生むことができる商業映画ではなく、むしろそれ以外の映画であるとするこの報告書をうけて、実験映画、無声映画、記録映画、マイノリティのグループが制作した映画、そして、ホームムービーなど非商業映画に映画保存の予算を集中的に投入するという方針が決まります。また欧米では、この頃、映像アーキビストの養成も始まろうとしていました。ホームムービーの日を考案したのは、映画保存を学んだ第一世代の人たちです。


彼らはホームムービーの日だけではなく、様々な活動を通して映画保存の運動を盛り上げていきます。2003年以降、ナショナル・フィルム・レジストリー(米国版の映画の重要文化財登録)には、ホームムービーの日で上映されたことをきっかけに登録された作品が3本含まれています。


現在のところ、ホームムービーの日を始めた人たちが後に立ち上げた非営利団体「ホームムービー・センター」(CHM)が全世界の会場の取りまとめをしています。毎年10月第3土曜日、世界同時開催、入場無料で、市民が持ち込む映画フィルムやビデオテープの状態を調査し、必要あればその場で補修を施し、内容問わずに次々と上映または再生するというのもので、会場では旧式メディアの家庭での保存方法等を解説したり、寄贈を呼びかけたりもしています。
これまでに、34ヶ国325都市で984回開催され、1万本以上を上映してきました。16年目となる2018年は10月20日に開催されます。

第16回ホームムービーの日(全国版チラシ)

日本のホームムービーの日
日本では、2003年の豊橋会場(ジャズ喫茶グロッタ)と福岡会場(REEL OUT映写室)に始まり、現在では毎年15会場前後で開催されています。中には10年以上続く青森の弘前会場(めん房たけや)や東京の谷根千会場(根津教会)もあります。これまでに、51名の世話人により19都道府県で172回開催されています。
日本では、映像アーカイブ/映像アーキビストからやや離れたところで開催されていて、関連機材の動態保存や映写技術の継承には有効かもしれませんが、欧米やアジアの他国ほどには現物の保存につながっていません。上映のためにフィルムをデジタル化した後は「フィルムはいらないから捨ててしまおう」とか、「場所を取って邪魔なのでどこかに寄贈したい」という人もいます。そのため、ホームムービーの日が押入れの奥に眠っていた貴重な資料の廃棄を誘引していないだろうかと心配になることもあります。主催団体の中でも、20世紀アーカイブ仙台や神戸映画資料館は例外的にフィルムの収集ができますが、上映やデジタル化だけで終わっている会場がほとんどです。
映画保存協会(FPS)は、CHMの日本側の窓口です。過去には世話人の支援を目的とする8ミリフィルムの映写/インスペクション講習や世話人会議等の場を設けていました。現在も機材(エディタ、スプライサー等)、作業マニュアル、調査カルテの提供、全国版の広報用チラシ、専用ウェブサイト/SNS、冊子「家庭でもできるフィルム保存の手引き」、「映画フィルムを捨てないでください」カード等の作成や配布を行い、開催記録の集約、外部への権利処理済の「今年の一本」約50件の貸出しを継続しています。テレビ番組や深田晃司監督のミュージックビデオ等、活用事例は多数あり、海外からの問合せも増加しています(英語のFAQを作成)。ただし、過去にホームムービーの日の会場で上映された作品を横断検索できるわけではなく、世話人の記憶が頼みの綱となっています。
ホームムービーの日と映像アーカイブ、映画館、映画祭との連携は初期の頃から目標でしたので、2015年に、東京国立近代美術館フィルムセンター(現国立映画アーカイブNFAJ)で、「ユネスコ世界記憶遺産の日(10/27)」記念イベントとしてホームムービーの日京橋が開催されたのはとりわけ意義深い出来事でした。
日本では、東日本大震災以降、「アーカイブズ」という言葉が社会に浸透したと言われますが、ちょうど映画館のデジタル化(フィルムからDCPへの移行)が進んだのも2011-2013年頃で、ホームムービーの日の本来の意図も、その頃から次第に受け入れられるようになり、映画館との連携もしやすくなっているようです。「高田世界館」や「御成座」といった映画館でもホームムービーの日が開催されました。

文京映像史料館
ホームムービーの日の経験を活かして何かもっと本格的なプロジェクトができないかということで東京都文京区の事業として採用されたのが「文京映像史料館」です。文京区が区民から8ミリフィルムを募り、これをデジタル化して、現物は持ち主にお返しするというものです。デジタル化した映像を区内の9地区で上映したところ、大変好評で、来場者も多く、こうした事業がいままさに求められているのだなと実感しました。

文京映像史料館 巡回上映会チラシ

デジタル化した映像を使って制作した「フィルムに残る文京区のくらし1-3」(計60分)は、区制70周年記念式典の目玉として、柳下美恵さんのピアノ演奏と活動写真弁士の坂本頼光さんの説明でお披露目上映されました。DVDは区立図書館で区民に貸出されていますが、区はDVCAMを保存用マスターとしていますので、長期保存は難しそうです。
欧米の地域映像アーカイブ活動を参考に、地元のアマチュア作家、熊澤半蔵さんのアニメーションを16ミリに復元したり、民間の助成金等を得て「地域で残そう映像史料」というイベントを開催して問題点を指摘したりもました。これによって都内で同様の事業を行っている台東区や墨田区、世田谷区等の実務者との交流の場が生まれ、お互いの映像を貸し借りしたり、台東区を記録した映像が文京区で見つかったりというような良い効果が生まれました。
山形では市制100年を記念したイベントとして映画祭が始まり、以降ずっと継続し、映像アーカイブもできたというお話を昨日うかがいましたが、文京区の場合は70周年を記念して映像アーカイブの事業が終わってしまいました。もう少し継続にこだわって知恵を絞るべきだったかもしれないなと考えたりもします。区としては巡回上映会の最終回に250人もの来場者を得て、大成功だったと判断したようですが、旧式メディアとその周辺文化を残すための長期的な活動につなげるにはどうすればいいのか、そこが工夫のしどころでもあります。

災害対策部
災害対策部は、東日本大震災直後に立ち上げました。被災した映画フィルムやビデオテープをお預かりして、きれいにしてお返しするというボランティア活動として、出張ワークショップも受け付けていますし、報告会「東日本大震災に学ぶ」も開催しています。本日お配りしているのは2011年に作成した小森はるかさんデザインのチラシで、ここに写っているのは被災地から送られてきたフィルムの画像です。

災害対策部チラシ(小森はるかさんデザイン)

半分は乳剤面が溶けてしまって、画の情報が失われていますが、半分は残っているので、フィルムをそのままの形で残すこともできますし、欠落部分はあるけれど、デジタル化して動く映像として閲覧することもできます。こういうところが、モノとしてのフィルムの強みかなと思います。
これからも災害対策部の活動を継続しつつ、現物の資料のオリジナリティの尊重や長期保存について考えていきたいと思います。

地域映像アーカイブとは何か
動的映像アーキビスト協会(AMIA)による2006年の調査結果によると、米国には約110の地域映像アーカイブ(Regional Film Archive)があります。2002年にメイン州の映像アーカイブである「ノースイースト・ヒストリック・フィルム」の『フロム・スタンプ・トゥー・シップス』(1930)、そして2017年にテキサス州の「テキサス動的映像アーカイブ」の『フエンテス家のホームムービー』(1920-30s)がナショナル・フィルム・レジストリーに登録されています。後者はメキシコ系の人たちの暮らしを記録したホームムービーです。ナショナル・フィルム・レジストリーは、毎年12月に25本ずつ登録されていて、これからもホームムービーが登録されるのではないかと楽しみにしています。
英国「Film Archives UK」は、地域映像アーカイブを「映画フィルム、ビデオテープ等の動的映像フォーマットに記録されたわたしたちの歴史を保管・保存し、アクセスを提供する場所」、「アマチュアによって生み出された作品も対象」と定義しています。ユネスコも「価値のつけられないほど貴重な個人所有の資料がこうした機関で活用される」として、その重要性に着目しています。
日本の場合、映像アーカイブという便利な言葉を使って多様な取り組みを区別なく呼んでいますが、地域映像アーカイブは、主に二つに分けることができると思います。まず、公共の映像アーカイブ機関です。そこには収蔵庫と上映施設があり、地元の映画祭との連携があり、専門職員を雇うだけの基盤が整っています。


広島市映像文化ライブラリー、京都文化博物館、川崎市市民ミュージアム、福岡市総合図書館、神戸映画資料館がこれにあたります。次に、より小規模なコミュニティの映像アーカイブ・プロジェクトです。国内に約50件あります。何れもFPSのウェブサイト上にリンク集を載せています。後者は、実際にはフィルムを収集しているわけではなく、単年度、あるいは2-3年で立ち消えになってしまう事業もある一方で、20世紀アーカイブ仙台のような息の長い安定した取り組みもあります。
欧米の場合は、映像アーカイブの歴史が長いので、時間をかけて収集保存してきた資料をデジタル化して活用せよという社会の要請があるのかと思います。本来、アーカイブズという言葉は、未来を見据えた永続的な取り組みを指すものですから、1年で終わってしまうような事業に対して使うのは不適切ではないでしょうか。
日本の場合、コミュニティの映像アーカイブ・プロジェクトの多くがデジタルシフトの後に始まったので、現物を集めることなく、デジタル化して活用するという発想は避けられません。実際、デジタルアーカイブの側に才能溢れる人たちが集中しています。例えば、研究と実践をバランスよく両立させているNPO remoの松本篤さん、アルプスピクチャーズ(長野)の三好大輔さん、沖縄アーカイブ研究所の真喜屋力さんらによるコミュニティに根ざした活動が注目を集めているので、近い将来、FPSが訴えてきたオリジナル資料の長期保存という領域にも光が当たるようになるのではないかと期待しています。


文京区のような狭い地域のプロジェクトでは、よりきめ細かく、大規模な機関では価値が評価されないような資料を扱うことができるので、範囲が狭いことは悪いことではないのですが、長期保存のために本当に必要なのは低温度・低湿度の収蔵庫であり、教育を受けた専門のスタッフです。そうなると、小規模ではあまりにもハードルが高い。ですから、実務者の連携はとても重要です。同じようなことをやっているのに、蛸壺的な取り組みになってしまうこともありますので、協働の道を探ってみてはどうでしょうか。前述のように、国内には国立映画アーカイブ以外にも5ヶ所(広島、京都、福岡、川崎、神戸)に公共の映像アーカイブ機関があり、収蔵スペースを持っています。こういうところにコミュニティで見つかった貴重なフィルムを寄贈できるとよいのですが、実際には公共の映像アーカイブ機関もリソース(予算・人員)不足のようなので、寄贈手続きはそう簡単にはいきません。その辺りが難しいところです。ただ、寄贈が成立した事例はいくつもありますので、第一に小規模なプロジェクトが手を結ぶこと、第二に保存環境の整っている大規模な機関とパイプを持つことが必要になってくると思います。

小川|パネリストの皆さん、そしてご発言くださったブラッドフォード市のウィルソンさんありがとうございました。
東日本大震災をめぐる膨大な量の、あらゆる映像を網羅しようとした機関はありません。自治体や研究機関が記録したもの、テレビや映画、そして、個人による映像、それらは量の問題だけではなく、メディアの特性や権利に関する問題がそれぞれにあるからです。しかし、そうした状況下でも、山形では「映画」を集めていく、せんだいメディアテークは市民協働を通じて「映画」とは別の形のものを集めていく。「アーカイブズ」の本来の意味では、ある領域に関して網羅的に集め保存する必要があるのでしょうが、その大きさの前で立ち止まることなく、それぞれの機関で現時的な枠を定め、堅実に取り組んできたことが功を奏しているとも言えるでしょう。
冒頭でも話した通り、2011年の東日本大震災以降、「アーカイブズ」という言葉は社会に浸透してきました。他方、これまでの取り組み、そして今後の取り組みのための資金や人材の確保は容易ではありません。そのいまだからこそ、石原さんのご指摘にもあったように、映像アーカイブの基本というものはどうなのか、改めて考える時期でもあるでしょう。
地域にまつわる映像資料は、その地域の人たちだからこそ価値を見いだせるものです。ある意味では、ほかの地域の人にはわからない、全国や世界的に見れば価値がないものかもしれません。しかし、私たちが震災後に共有しつつある映像アーカイブの意義とは、震災を象徴し後世に伝える映像が残されたということよりも、一見多くの人とは価値を共有できない映像にもかけがえのない価値があることを、地元で自分たちがそれを探る過程、あるいは、支援の手を差し伸べ関わる中で実感したことではないでしょうか。その結果、大きな権威やメディアによってふるい分けされることのない映像アーカイブのあり方が各地で進んだと同時に、今回のような機会を通じて、それぞれの取り組みへの理解と連携が求められているとも思います。地域コミュニティの小さな活動から、行政の施策や文化施設、そして、大学や国立映画アーカイブなどの専門機関が情報や技術の交流を進めることが、それぞれの映像アーカイブをその個性を守りつつ未来に遺していく道ではないでしょうか。
とはいえ、東北にいる人間としては、東日本大震災から7年、自分も含め多くの方ががむしゃらに走ってきて、最近やっと冷静に映像アーカイブの意義や課題について考えられるようになってきたというのが正直な感覚なので、これを機会に引き続き議論する機会を設けられれば幸いです。駆け足の分科会となってしまいましたが、本日ご参加いただいた皆さま本当にありがとうございました。

2018年9月29日|全国コミュニティシネマ会議 2018イン山形

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