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A Thousand Cuts: The Bizarre Underground World of Collectors and Dealers Who Saved the Movies /平野共余子

平野共余子/映画研究者


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A Thousand Cuts: The Bizarre Underground World of Collectors and Dealers Who Saved the Movies by Dennis Bartok and Jeff Joseph (University Press of Mississippi, 2016)

 ロサンゼルスにある非営利映画上映団体アメリカン・シネマテークのプログラムを1990年代に担当していたデニス・バルトークは、その当時から若松孝二監督の『天使の恍惚』(1972)や深作欣二監督の『黒薔薇の館』(1969)などの配給もしていた。そして最近は別の配給会社を作り、山本暎一監督の『哀しみのベラドンナ』(1973)の配給をしていたが、最近アメリカン・シネマテークの仕事に戻って来た。そして映画コレクターについての本を書いたというので、早速買って読んでみた。A Thousand Cuts: The Bizarre Underground World of Collectors and Dealers Who Saved the Movies  という題名で、日本語に訳せば「千のカット 映画を救ったコレクターとディーラーの珍奇な隠れた世界」とでもなろうか。

(詳細はhttp://www.upress.state.ms.us/books/1966

このデジタル時代に35mmや16mmのフィルムを集める消えゆく種族への挽歌かと思ったのだが、内容は期待以上に刺激的で時には感動的だ。


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  共著者のデニス・バルトーク(左)とジェフ・ジョゼフ(右)


 デニスはアメリカン・シネマテーク時代に珍しい映画プリントを探して上映したことが度々あり、この世界にも詳しい。共著のジェフ・ジョセフはコレクターで、映画著作権を所有する映画会社の依頼でFBIが盗品売買の疑いで乗り出した1975年の有名なハリウッド映画コレクター襲撃事件で逮捕された。運悪く厳しい担当判事に当たり、起訴された16名の中で唯一懲役刑を受けて刑務所に行った筋金入りコレクターである。デニスとジェフがアメリカを中心に約20人のインタビューを行っている。1人はフランス人男性、1人はヒスパニック系アメリカ人男性、2人はアメリカ人白人女性だが、あとは全部アメリカ人の白人男性で、その多くが独身でゲイである。情熱を傾けて映画収集を始めると家庭を顧みないで底なしにのめり込むし、フィルムを積み上げると場所を取るので、夫婦ともコレクターでない限りおよそ結婚には不向きだそうだ。そして永遠の美しさを求める美意識がゲイの美意識と一致するという発言もある。デニスの考察では、1960年代ぐらいまでハリウッド映画の多くが白人男性を観客として想定していたので、白人男性の収集家がそれに伴って多いのではないかという分析である。
 
 コレクターの中にはFBIに真っ先にあげられた俳優のロディ・マクドウォールや自分の作品ばかり集めていたロック・ハドソン、映画監督のジョー・ダンテや、映画監督でもあり映画史研究家で映画修復家のイギリス人のケヴィン・ブラウンローなどの有名人もいるが、多くはコレクター世界の中でのみの有名人である。育った環境はさまざまで、親が大学教授や宇宙科学技師というインテリもいれば、警官や工員という慎ましい環境の出身者もいる。しかし、多くが幼くして父や母を亡くして孤独を早い時期に覚え、映画を見るようになっている。収集の対象は16mm、35mm、70mm、果ては3Dまで、フォーマットによって住み分け、またサイレント映画、モノクロ映画、ミュージカル、SF、ホラー、ポルノなどのジャンルの専門化がされている場合が多い。


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 子どもの頃なけなしのお小遣いで8mmを買ったのが収集の始まりの人たちもいるが、映写技師や映画保存の仕事についていたり、映画撮影所で働いていたという人も少なくない。つまり映画フィルムについての専門的知識を持ち、フィルムへのアクセスがあるのだ。使わなくなった映画を譲り受けたり、黙って持ち帰ってしまうことが収集の始まりとなる。また捨てられていたフィルムの情報を得て集めに行ったり、ハリウッドの新作の映画プリントを堂々と撮影所の倉庫に盗みに入った人もいる。
 自分の愛する映画に囲まれているだけで幸せというタイプもいるが、多くが家族や友人を集めて自宅で上映会をして楽しむことを目的としている。そして消えゆく映画を収集して保存し、観客の「映画をフィルムで見る」体験を継承していく使命感に溢れるコレクターもいる。そして生活の糧とするために、以前は映画コレクター専門の雑誌の広告を通じて、現在はインターネットのサイトでフィルムの売買をしている。

 多くのコレクターが、フィルムは消えゆく運命にあると自覚している。消えゆく20世紀の芸術としての映画に愛着は深くあるが、現実に直面して一生かかって集めた映画を手放す者もいる。例えばジェフは最近ある財団にコレクションをまとめて売って、そのコレクションはロサンゼルスの映画科学アカデミーとカリフォルニア大学ロザンセルス校(UCLA)映画テレビアーカイブに分けて保存されているので、今でもかつて自分が所有していた映画の保存作業に参加している。また多くのフィルムが放出される今こそ、映画コレクターにとっての好機であると元気を増して収集を続ける者もいる。若い世代のコレクターが本の最後に紹介されるので、細々とでもフィルム収集が続けられそうなことに読者は安堵を覚える。
 コレクターの中には冷静に「クリエイティブな破壊」理論を唱える者もいる。どの分野でも新しい技術が出現すると、それまで使われていたものを破壊することも同時に行われるという現象が見られるので、映像を見るという分野でもビデオ・テープやDVDが出現したら、それまで使われていたフィルムを駆逐する結果となったのは当然の帰結であるという見解である。従ってフィルムは、ビデオやDVDの出現により破壊される運命にあるというのである。しかしコレクターの全員がビデオやデジタルに比べてのフィルムの保存能力を強調している。


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 ポーランドの映画監督・クシシュトフ・キェシロフスキのテレビ映画『デカローグ』の第10話が、切手収集家たちのオブセッションや偏愛といった特殊な世界を描くものであったが、映画収集家たちの世界もそれなりに特殊でドラマに満ちている。そしてキェシロフスキの切手マニアたちのように情報網も張り巡らされていて、誰が何を持っているか、いつ死亡したかなどお互いに熟知している。どうしても手放すほかなくなってしまったフィルムへの限りない思いや、張り合った仲間への競争心や反発は奥深い。その反面、友情も結ばれている。長年求めていてやっと購買の話がまとまり、手付金を払った途端に売主が旅にでてしまい、してやられたかと思ったら何とその売主は旅先のシカゴで急死してしまい映画は手に入らなかった、などというとんでもないエピソードもある。当局の目をかすめるために、1巻目のフィルムを逆に巻き戻して、サイレント映画の題名かと思って記録されたセンテンスが実はその巻の最後に来る台詞であったという痛快な挿話もある。


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 私自身も知っていたコレクターの記述に出会った時には、とても懐かしかった。ニューヨーク大学の教授でアメリカ映画の講座を担当していたイギリス人の映画史研究家でコレクターのウィリアム・エヴァーソン先生である。私は1979年秋にニューヨーク大学映画研究科に留学して、最初の学期にエヴァーソン先生の授業を取ったが、いつも16mmプリントを自宅から持参して上映していた。とても早口で解説をするので、ついていくのが大変だったが、珍しい映画もあったように記憶している。彼は毎週水曜日夜にマンハッタンのダウンタウンで秘密結社のように珍しい映画上映をしていたそうで、そこに出入りしていた映画マニアの中には評論家で映画作家のスーザン・ソンタグや、ヒッチコックの『サイコ』(1960)の主人公ノーマン・ベイツのモデルだったと噂されていた男性もいたそうだ。
 尚、マーティン・スコセッシ監督とニューヨーク映画祭ディレクターのケント・ジョーンズの映画保存についての対談を以下のサイトで読むことができる。2015年10月、ニューヨーク映画祭で、彼らの主宰する映画保存のための財団「フィルム・ファンデーション」が関わったエルンスト・ルビッチ監督『天国は待ってくれる』(1943)の修復上映に際して行われたものである。

http://www.filmcomment.com/blog/nyff-martin-scorsese-on-film-preservation/

 2016年のニューヨーク映画祭では、「フィルム・ファンデーション」が角川映画やシネリックという会社と共同で修復した溝口健二監督『雨月物語』(1953)や、やはり「フィルム・ファンデーション」が主導して修復をしたエドワード・ヤン監督の『タイペイ・ストーリー』(1985)などの上映が行われた(修復上映部門の詳細はhttp://www.filmlinc.org/nyff2016/sections/revivals/)。
 また、最近ニューヨークで遭遇したバルカンの小国アルバニアの映画保存活動についての詳細は、
http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data/hirano/026.html


(写真提供:Dennis Bartok)


平野共余子(ひらの・きょうこ)
東京生まれ。1976年から77年にかけて旧ユーゴのベオグラード大学大学院でユーゴ映画史を専攻。1979年よりニューヨーク大学映画研究科に留学、88年博士号修得。博士論文は英語で92年に「Mr. Smith Goes To Tokyo: Japanese Cinema Under the American Occupation 1945-1952」 (Smithsonian Institution Press)として、その後日本語で98年『天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社)として出版。86年より2004年までニューヨークのジャパン・ソサエテイー映画部門で日本映画の上映に携わり、この体験は06年に『マンハッタンのKUROSAWA 英語の字幕版はありますか?』(清流出版)となる。近著には『日本の映画史 10のテーマ』(くろしお出版、2014年)がある。

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